3年間の職工生活
高校を卒業して直ぐに裸一貫で横浜の造船所に職工として就職した。最初、近所の人がいる長崎の三菱造船所から誘いが有ったが、東京で働いていた姉からの誘いがあり何となく横浜の造船所に決まった。2、3万円のお小遣いを貰い上京した様に思う。数人入社した中、他の人達は造船高校出身、私だけが普通高校出身で、仕上げ工という現場の仕事をあてがわれた。中卒の先輩に囲まれ、指導してもらう事も無く単純な作業をして日々を過ごした。想像を絶する油塗れの日々、その日の作業着をバケツに入れストーブで煮て洗濯する。仕舞いには洗濯が面倒で裸で作業した。しかし、何の違和感も無く苦にもならなかった。
ただ生涯やる仕事では無いなと思っていたので、脱出する手段として、誰もが残業していた中、定時で切り上げ蒲田にあったテレビ専門学校に通った。1年間通い卒業となった時、学校で紹介された飛行機会社に転職しようとしていたらばれて、上司に呼ばれた。何をやりたいのかと聞かれ、出まかせに営業をやりたいと言ったら認められ、東京営業所でその頃出来たばかりの高圧容器、つまり酸素ボンベの販売をする事になった。
高齢の部長さんと若い女性の事務員さんが居る、東京駅の八重洲口に有った営業所に配属となったが、他人の事は気にならない性格の私には全国にある業者の名簿を頼りにひとり挨拶まわりをするだけで成果を問われる事もなく日々を過ごしていた。全国のガス屋さんを約2年間廻ったが契約を取れた覚えは1軒しかなく、それも不渡りとなってしまった。